新星の武器庫(15)
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発明王は、夕ごはん前に、正々堂々と待ちかまえていた。
スィグルには逃げるつもりはなかったが、他事にかまけていたため、ケシュク少年の仁王立ちして腕組みした姿に、列柱の廊下で立ちはだかられるまで、今日が決戦の日だったということを失念していた。
「極悪なる人食い領主め、逃げるとは卑怯なり」
ケシュクはそう叫ぶと、手に持っていた子供用の玩具の連弩(れんど)を、スィグルに向かって突きつけた。それには、ちっぽけなものとはいえ、矢が装填されていたので、連れていた侍官たちが、顔面蒼白になってスィグルを取り囲んだ。
今こいつ、僕のことを人食い領主って呼んだろ。
やっぱり、そういうことになるんだよ。そんな予感はしたよ。
いっとき、目を伏せた渋面で、スィグルは考え、それから緊迫しているらしい侍官たちをやんわりと押しのけた。
「ケシュクだったよな。僕は逃げたわけじゃない。部屋に着替えに戻るんだ」
朝から昼まで、領主は朝儀を行って廷臣たちと仕事の話をするが、午後には、曜日を決めて、グラナダ市民たちの上申を聞くことにしていた。
謁見の間にやってくる平民たちは、誰も彼も、めいいっぱいの礼装でめかし込んできたし、それに応対するこちらが普段着というわけにはいかない。結局スィグルはまる一日、王族の礼装を着込む羽目になっていた。
時計が謁見の終了時刻を告げ、やっとこの日一日の仕事から解放される時がやってきたので、とっとと部屋に戻って、平服に着替えるつもりだった。
絵師シャムシールに伝言するだけでは飽き足らなかったのか、肉屋組合の代表が謁見にやってきた。彼らは手ぶらではなく、たっぷり貢ぎ物を持ってきた。もちろん全部肉だった。
謁見の間で生肉の山を見せられ、しかもそれが馬肉だというので、スィグルは吐きそうだった。
天使が許したのだったら、どんな肉を食ってもいいが、馬を食うやつは悪鬼だと、スィグルは信じていた。あれは乗るもので、食うものではない。
なのにギリスは、馬肉はうまいよと言って、にこにこしていた。殺そうかと思った。
しかし折角の心づくしの献上品を巡って、目の前で領主と英雄が殺し合いをしたら、肉屋組合は立つ瀬がなかろう。
馬はどんな駄馬でも、この街では贅沢品だった。それを肉にして食おうというのだから、彼らは自分たちのそろえられる商品の中で、もっとも贅のあるものを献上してきたのだ。
絶賛すべきところだった。
スィグルは必死で微笑して絶賛してやった。
すると彼らは、ある一定の期間を超えても、市場前の壁画では領主に肉を食っていてもらいたい旨を、やんわりと匂わせ、そのためには金貨でも銀貨でも積むと請け合った。
そして、もし、魚屋組合が、自分たちより高く積んできたら、彼らに権利をお与えになる前に、ぜひご連絡をいただきたいと。
スィグルが開いた口も塞がらず、思わず絶句していると、ギリスが立ち上がって、領主に代わり彼らを労った。
近来まれに見る忠節である。今後も領主は魚よりは肉を好まれるだろうと。
英雄譚(ダージ)に聞こえる英雄の言葉に、市民たちは痛み入り、ただ頷くだけが精々の領主にも大満足して引き上げていった。
この街の者は、市民までアホかと、スィグルはややあってから思った。
続いて謁見にやってきたのが、石鹸屋だったからだった。
彼らはギリスに揉み手をして、にこにこし、絵の完成とともに新商品を売り出したいので、ぜひ商標にお名前をお借りしたいと言った。もちろんギリスの名前のことだ。
氷の蛇印はもう、氷菓(シャーベット)があるだろ、これ以上グラナダにお前の関連商品を増やすなと、スィグルは目で訴えたが、ギリスは気にしていなかった。
名前を貸してやってもよいがと答える気さくな笑顔の魔法戦士に、石鹸屋は、つきましてはご相談がと誘い、見返りに金貨を運び込むことをねっとり匂わせてから、帰って行った。
今日はいっぱい稼いだなと、ギリスは謁見の感想を述べた。
彼は一応、領主を護衛するために玉座のそばに侍っているらしいのだが、実際なんのためにそこにいるのか、スィグルにも良く分からなかった。
護衛って、こういうのじゃないだろうと、何となくふらふらしながら帰っている途中だったのだ。
そこにケシュクが現れた。
「エル・ギリスをどこへやった。まさか食っちゃったの?」
本気で心配しているらしい顔で、ケシュクは深刻に訊ねてくる。
「あんなの一瞬で食えるか。何日もかかる」
スィグルはいつもの癖で、思わずそう毒づいていた。
しかし相手は子供だった。真に受けて青ざめる子供の顔を見て、スィグルはしまったと思った。
「食ったんだ!」
「冗談だ! 悪かった、つまらないことを言って!」
叫び出すケシュクに、スィグルは額を覆って叫び返した。とにかく黙って欲しかった。
子供のわめき声を聞いていると、気が狂いそうな気がして、ただでさえ疲れているのに、さらにへとへとになる。
「ギリスはまだ仕事だ。たぶん今ごろ、石鹸屋から搾り取っているところさ。すぐ来るだろう」
「石鹸をしぼるの?」
ぐったり説明するスィグルの話に、ケシュクはきょとんとして答えている。
「知りたければ本人に聞くがいい。それはいいんだが、人食い領主と呼ばないでくれないか。人聞きが悪いので」
「連弩(れんど)と勝負しろ。俺が勝負に負けたら、やめてやってもいい」
あくまでも挑戦姿勢の子供に、スィグルは頭痛がしてきた。子供が嫌いだったのだ。
今まで、身近に子供がいなかったので、それを深く意識することはなかったが、実際目の前にすると、やはり嫌いだった。
しかし目の前にいる子供に、子供が嫌いだと言うのも、酷い話だというのは弁えているつもりだ。スィグルは目を伏せ、苛立つこめかみを片手で押さえて、なるべくケシュクと目を合わせないようにした。
「大人と勝負しても勝てはしないよ、ケシュク」
「勝てる。俺の連弩(れんど)なら、牛の目のファサルを討ち取れるって、エル・ギリスは言っていた」
「あいつはなぜそんな適当なことを……」
スィグルの呟きは愚痴だったが、ケシュクは質問だと思ったらしい。
発明王は胸を張って答えた。
「向こうは二連射だけど、俺の連弩(れんど)は七連射だからだ! それに装填だって、矢筒から矢をとってつがえるより、ずっと早いよ。取っ手を引けばいいだけだもん」
「それは頭で考えた話だろう」
「違うよ。もともと、洗濯屋組合のやつらをやっつけるために発明したんだもん。あいつら弓が上手いんだ。大人みたいなのを、もう持ってんだよ。だけど俺の連弩(れんど)が出来てからは、連戦連勝だ。チビでも射れるから、連弩の数さえたくさんあれば、こっちは大軍団だよ」
小さい大英雄が語る自らの英雄譚(ダージ)を、スィグルは途中から真面目に聞いていた。
「じゃあお前は、自分たちより年上の相手をやっつけたのか」
「そうだよ」
「その勝因はなんだった」
彼がそれを知っているかを、知りたい気がして、スィグルは訊ねた。子供はしばし考えた。
「連弩の整備だよ」
よく考えた末、ケシュクは職人の息子らしい答えを口にした。スィグルは頷いて聞いた。
「連弩は整備がまずいと、再装填のときに矢がひっかかる。引き金を引いても飛ばなかったり。でもちゃんと整備してれば大丈夫。矢が飛びさえすれば、弓より連弩のほうが、速く沢山射れるのは絶対だから」
話し始めると、ケシュクは熱心だった。子供が心底から連弩に惚れているのが、それを聞く誰にも明らかなくらいに。
スィグルは彼の話を真面目に聞いていたが、周りに控えていた侍官たちも、話すケシュクを見つめていた。そんな大人たちが思うだろう事を、スィグルは代表して訊ねた。
「そうだろうな。だけど威力は弓のほうが上だろう。射程はどうだ」
「そんなの至近距離から奇襲すればいいんだよ!」
ケシュクは声高く即答した。
「その戦いに名誉はあるか?」
面白い子だなと微笑んで、スィグルは最後の質問をした。この子供はおそらく、ギリスにもこれと同じ話をしただろう。しかし最後の質問を、彼はしただろうか。名誉に無頓着な恥知らずのあいつが。
ケシュクは人食い領主の意地悪な問いにも、胸を張って答えた。
「勝利にこそ、名誉はあるものだ!」
芝居がかった子供の口調に、スィグルは吹き出した。
こいつ誰かに似ているな。それが異端でなければ、額に赤い点を描いてやりたいくらいだ。
「お前と弓比べをしてやるよ。僕に連弩の威力を見せろ」
スィグルはケシュクの挑戦を受けた。
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発明王は、夕ごはん前に、正々堂々と待ちかまえていた。
スィグルには逃げるつもりはなかったが、他事にかまけていたため、ケシュク少年の仁王立ちして腕組みした姿に、列柱の廊下で立ちはだかられるまで、今日が決戦の日だったということを失念していた。
「極悪なる人食い領主め、逃げるとは卑怯なり」
ケシュクはそう叫ぶと、手に持っていた子供用の玩具の連弩(れんど)を、スィグルに向かって突きつけた。それには、ちっぽけなものとはいえ、矢が装填されていたので、連れていた侍官たちが、顔面蒼白になってスィグルを取り囲んだ。
今こいつ、僕のことを人食い領主って呼んだろ。
やっぱり、そういうことになるんだよ。そんな予感はしたよ。
いっとき、目を伏せた渋面で、スィグルは考え、それから緊迫しているらしい侍官たちをやんわりと押しのけた。
「ケシュクだったよな。僕は逃げたわけじゃない。部屋に着替えに戻るんだ」
朝から昼まで、領主は朝儀を行って廷臣たちと仕事の話をするが、午後には、曜日を決めて、グラナダ市民たちの上申を聞くことにしていた。
謁見の間にやってくる平民たちは、誰も彼も、めいいっぱいの礼装でめかし込んできたし、それに応対するこちらが普段着というわけにはいかない。結局スィグルはまる一日、王族の礼装を着込む羽目になっていた。
時計が謁見の終了時刻を告げ、やっとこの日一日の仕事から解放される時がやってきたので、とっとと部屋に戻って、平服に着替えるつもりだった。
絵師シャムシールに伝言するだけでは飽き足らなかったのか、肉屋組合の代表が謁見にやってきた。彼らは手ぶらではなく、たっぷり貢ぎ物を持ってきた。もちろん全部肉だった。
謁見の間で生肉の山を見せられ、しかもそれが馬肉だというので、スィグルは吐きそうだった。
天使が許したのだったら、どんな肉を食ってもいいが、馬を食うやつは悪鬼だと、スィグルは信じていた。あれは乗るもので、食うものではない。
なのにギリスは、馬肉はうまいよと言って、にこにこしていた。殺そうかと思った。
しかし折角の心づくしの献上品を巡って、目の前で領主と英雄が殺し合いをしたら、肉屋組合は立つ瀬がなかろう。
馬はどんな駄馬でも、この街では贅沢品だった。それを肉にして食おうというのだから、彼らは自分たちのそろえられる商品の中で、もっとも贅のあるものを献上してきたのだ。
絶賛すべきところだった。
スィグルは必死で微笑して絶賛してやった。
すると彼らは、ある一定の期間を超えても、市場前の壁画では領主に肉を食っていてもらいたい旨を、やんわりと匂わせ、そのためには金貨でも銀貨でも積むと請け合った。
そして、もし、魚屋組合が、自分たちより高く積んできたら、彼らに権利をお与えになる前に、ぜひご連絡をいただきたいと。
スィグルが開いた口も塞がらず、思わず絶句していると、ギリスが立ち上がって、領主に代わり彼らを労った。
近来まれに見る忠節である。今後も領主は魚よりは肉を好まれるだろうと。
英雄譚(ダージ)に聞こえる英雄の言葉に、市民たちは痛み入り、ただ頷くだけが精々の領主にも大満足して引き上げていった。
この街の者は、市民までアホかと、スィグルはややあってから思った。
続いて謁見にやってきたのが、石鹸屋だったからだった。
彼らはギリスに揉み手をして、にこにこし、絵の完成とともに新商品を売り出したいので、ぜひ商標にお名前をお借りしたいと言った。もちろんギリスの名前のことだ。
氷の蛇印はもう、氷菓(シャーベット)があるだろ、これ以上グラナダにお前の関連商品を増やすなと、スィグルは目で訴えたが、ギリスは気にしていなかった。
名前を貸してやってもよいがと答える気さくな笑顔の魔法戦士に、石鹸屋は、つきましてはご相談がと誘い、見返りに金貨を運び込むことをねっとり匂わせてから、帰って行った。
今日はいっぱい稼いだなと、ギリスは謁見の感想を述べた。
彼は一応、領主を護衛するために玉座のそばに侍っているらしいのだが、実際なんのためにそこにいるのか、スィグルにも良く分からなかった。
護衛って、こういうのじゃないだろうと、何となくふらふらしながら帰っている途中だったのだ。
そこにケシュクが現れた。
「エル・ギリスをどこへやった。まさか食っちゃったの?」
本気で心配しているらしい顔で、ケシュクは深刻に訊ねてくる。
「あんなの一瞬で食えるか。何日もかかる」
スィグルはいつもの癖で、思わずそう毒づいていた。
しかし相手は子供だった。真に受けて青ざめる子供の顔を見て、スィグルはしまったと思った。
「食ったんだ!」
「冗談だ! 悪かった、つまらないことを言って!」
叫び出すケシュクに、スィグルは額を覆って叫び返した。とにかく黙って欲しかった。
子供のわめき声を聞いていると、気が狂いそうな気がして、ただでさえ疲れているのに、さらにへとへとになる。
「ギリスはまだ仕事だ。たぶん今ごろ、石鹸屋から搾り取っているところさ。すぐ来るだろう」
「石鹸をしぼるの?」
ぐったり説明するスィグルの話に、ケシュクはきょとんとして答えている。
「知りたければ本人に聞くがいい。それはいいんだが、人食い領主と呼ばないでくれないか。人聞きが悪いので」
「連弩(れんど)と勝負しろ。俺が勝負に負けたら、やめてやってもいい」
あくまでも挑戦姿勢の子供に、スィグルは頭痛がしてきた。子供が嫌いだったのだ。
今まで、身近に子供がいなかったので、それを深く意識することはなかったが、実際目の前にすると、やはり嫌いだった。
しかし目の前にいる子供に、子供が嫌いだと言うのも、酷い話だというのは弁えているつもりだ。スィグルは目を伏せ、苛立つこめかみを片手で押さえて、なるべくケシュクと目を合わせないようにした。
「大人と勝負しても勝てはしないよ、ケシュク」
「勝てる。俺の連弩(れんど)なら、牛の目のファサルを討ち取れるって、エル・ギリスは言っていた」
「あいつはなぜそんな適当なことを……」
スィグルの呟きは愚痴だったが、ケシュクは質問だと思ったらしい。
発明王は胸を張って答えた。
「向こうは二連射だけど、俺の連弩(れんど)は七連射だからだ! それに装填だって、矢筒から矢をとってつがえるより、ずっと早いよ。取っ手を引けばいいだけだもん」
「それは頭で考えた話だろう」
「違うよ。もともと、洗濯屋組合のやつらをやっつけるために発明したんだもん。あいつら弓が上手いんだ。大人みたいなのを、もう持ってんだよ。だけど俺の連弩(れんど)が出来てからは、連戦連勝だ。チビでも射れるから、連弩の数さえたくさんあれば、こっちは大軍団だよ」
小さい大英雄が語る自らの英雄譚(ダージ)を、スィグルは途中から真面目に聞いていた。
「じゃあお前は、自分たちより年上の相手をやっつけたのか」
「そうだよ」
「その勝因はなんだった」
彼がそれを知っているかを、知りたい気がして、スィグルは訊ねた。子供はしばし考えた。
「連弩の整備だよ」
よく考えた末、ケシュクは職人の息子らしい答えを口にした。スィグルは頷いて聞いた。
「連弩は整備がまずいと、再装填のときに矢がひっかかる。引き金を引いても飛ばなかったり。でもちゃんと整備してれば大丈夫。矢が飛びさえすれば、弓より連弩のほうが、速く沢山射れるのは絶対だから」
話し始めると、ケシュクは熱心だった。子供が心底から連弩に惚れているのが、それを聞く誰にも明らかなくらいに。
スィグルは彼の話を真面目に聞いていたが、周りに控えていた侍官たちも、話すケシュクを見つめていた。そんな大人たちが思うだろう事を、スィグルは代表して訊ねた。
「そうだろうな。だけど威力は弓のほうが上だろう。射程はどうだ」
「そんなの至近距離から奇襲すればいいんだよ!」
ケシュクは声高く即答した。
「その戦いに名誉はあるか?」
面白い子だなと微笑んで、スィグルは最後の質問をした。この子供はおそらく、ギリスにもこれと同じ話をしただろう。しかし最後の質問を、彼はしただろうか。名誉に無頓着な恥知らずのあいつが。
ケシュクは人食い領主の意地悪な問いにも、胸を張って答えた。
「勝利にこそ、名誉はあるものだ!」
芝居がかった子供の口調に、スィグルは吹き出した。
こいつ誰かに似ているな。それが異端でなければ、額に赤い点を描いてやりたいくらいだ。
「お前と弓比べをしてやるよ。僕に連弩の威力を見せろ」
スィグルはケシュクの挑戦を受けた。
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