もえもえ図鑑

2008/07/28

パスハの南・帰郷編(1)

 熱砂の海を避けて、隊列は夜歩く。
 帰り着くタンジールはいつも、朝焼けを背景に浮かび上がっていた。
 尖塔(ミナレット)が砂丘の陰から現れる瞬間には感動があるが、階層状の都市層を抜けて、王宮の門をくぐるときには、安堵があった。
 また生き延びて、我が家に帰り着いたという安心感に包まれる。
 急いで旅装を改めて、朝儀を行う族長に、帰投の挨拶をしに行かねばならなかった。騎獣を降りて、ジェレフは慌ただしく王宮の通路を行き、竜の涙たちの居室が与えられている区画まで足早に歩いていった。
 砂じみた旅装の一団を認めて、仲間達がお帰りと声をかけてきた。
 三ヶ月ぶりに会う顔は、どれも懐かしかった。
「とうとう帰ったのか、無事でなにより!」
 行き合った同輩と、ジェレフは求められて握手をした。満面の笑みで、ジェレフの手と肘を掴み、彼はひどく愛想よく、握った手を何度も振ってきた。
「ジェレフちゃん」
 含みのある笑みだった。
「なんだそれは」
 いやな予感がして、ジェレフは相手を問いただした。しかし面白そうに首を振られるばかりだ。
 通りすがる誰彼となく、同じ笑みとともに呼びかけてきた。
「おお、帰ってきたか、ジェレフちゃん」
 同じ派閥に属する同輩にも、そんなことを言われて、ジェレフは思わず足を止めた。いつもの飲み仲間だった。
「なんなんだ、その呼び名は」
「これだよ」
 たまたまそこにあった、という雰囲気で、同輩は近くの部屋から巻物をとってきた。詩人が詠う叙事詩か戯曲のもののようだった。
 紐をといて中身を読み、ジェレフはその場に倒れそうになった。
 客地から、エル・サフナールが送った例の鷹通信(タヒル)が、とんでもなく下劣な枕話に化けていた。こんなもの事実ではないと思いたい。
「よ、読んだのか」
 そうに決まっているが、ジェレフは思わず訊いた。
「読んだ。というか聴いた。玉座の間(ダロワージ)で」
 元気を出せというように、同輩はジェレフの肩を叩いた。ジェレフは開いた口が塞がらなかった。
「みんな聴いたのか」
「大多数は」
「………………族長も?」
 これから謁見しにいく白い顔のことが頭をよぎり、ジェレフはほとんど無意識に訊ねていた。
「さあ、どうだろう。俺が聴いた時には、お姿は見かけなかったけど」
「じゃあご存じないんだよな。そうなんだろ」
 語気強く念押しするジェレフの肩を叩いたまま、同輩は気まずげに、しかし面白そうに目をそらした。
「それがお前の心の支えになるなら、そう思っておけよ」
 目を合わさずに何度か頷かれ、ジェレフはうめいた。
 とにかく。
 着替えに行かないと。
 礼服に。
 もっと問いただしたい気持ちから自分を引き剥がして、ジェレフはまた通路を急いだ。
 気もそぞろに礼服を纏い、玉座の間(ダロワージ)へ辿り着くと、朝儀はまだ続いていた。使節団が帰郷したので謁見したい旨を侍従に伝え、ジェレフは他の連中が集まるのをやきもきして待った。
 一人も欠けずに傷病の類もなく戻ることができ、命じられた仕事も全てつつがなくこなしてきた。何ら恥じるところのない帰郷のはずだ。
 だから大丈夫。
 ものほしそうに王族の席を見てぼけっとしているエル・ギリスの尻を叩き、ジェレフは呼ばれた順序に従って、玉座の前で跪拝叩頭した。
 族長リューズはまず長旅を労い、客地での首尾を手短に訊ねた。経過がおしなべて順調であったこと、族長ヘンリックが感謝していたこと、予定外の出来事なども、ジェレフは端的に伝え、詳細は報告書を提出すると締めくくった。
 リューズは満足しているふうに頷き、玉座から淡い微笑みとともに、こちらを見下ろしていた。
 ジェレフはそれに、ほっとした。帰ってきたなと、三度思った。
 サウザスの港町も慣れれば良いところだったが、やはり自分にはこうして、煌びやかな玉座の間と、そこに君臨するこの人がいてくれるのが、一番しっくりくる。
「報告書は急がずともいい、まずは皆、体を休めよ」
 玉座の肘掛けに頬杖をつき、族長リューズは耳飾りを弄んでいた。いつもやっている癖だ。その仕草も懐かしい。そしていつも最後には、我が英雄よと呼びかけてくれる。畏れ入って平伏し、ジェレフはその言葉を期待して待った。
「ジェレフちゃん」
 唐突に族長が小声でそう言い、くすりと笑い声をもらした。
 ジェレフはぎょっとして顔をあげた。
「いや、そうではなく、我が英雄よ」
 広間(ダロワージ)に笑いをこらえる熱気が籠もったのが、感じられる。
「なにごとも、ほどほどにしておけ」
 諭すような、からかうような口調で、リューズがそう言った。
 愕然として、ジェレフはとっさに、背後に平伏しているはずのエル・サフナールを振り返った。彼女は赤い唇で、にやりと意地悪く笑い返した。その彼女の背後に見え隠れする、王族の席に侍る取り巻きの席から、赤い竜の涙を冠のように頭に飾った、長老会のひとりがこちらを見ていた。
 ひどく美しい女(ひと)だった。彼女もサフナールと同じ笑みで、じっとジェレフの顔を見た。
 英雄(エル)・エレンディラ。
 はめられた。そうだ。あの人の目論見だったのだ。
 泣いていいなら泣きたいほどの情けない気分で、ジェレフはやむなく族長に平伏した。

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